
悠久の歴史を超え、幾世代にもわたって織り継がれてきたオリエントの手織絨毯。
これまでにも洋の東西を問わず、数多くの考古学者が、その発祥の地と時を探る夢を抱き、解明に挑んできました。しかし、いつの時代から作られ始めたか、いまだにその歴史は定かではありません。ただひとつ、その技法が確立されたのがアケネメス朝ペルシア(紀元前525年にエジプトを征服、西アジアを統一)の時代までさかのぼるという確証を除いて…。
絨毯の織られ始めた遠い昔からおよそ3000年。現代においても、オリエントの手織絨毯は、その独特の美しさと手触りで私達の心をとらえて離しません。
はたして、いつの時代に、どこで、そして誰が、はじめて絨毯を織り始めたのか?
その謎は今も、果てしなく広がる草原と砂漠の大地に眠っています。

現存する中では世界最古の絨毯……バジリク絨毯
1929年から1949年にかけて、旧ソ連の考古学者S・J・ルキデンコが南シベリア・アルタイ山中のバジリクにあるスキタイ王家の墓陵より発掘。紀元前400年代のものと推定されています。一部の欠損を除いてほぼ原型をとどめているのは、厳寒の地に凍結状態で保存されていたためです。
5列のボーダー模様を配し、トナカイや馬を引く人物、騎馬人物などが表現されたそのスタイルが、アケネメス王朝ペルシア期のものと酷似しているため、当時のアケネメス王がスキタイ王国へ贈呈したもののひとつではないかとされています。
年代が判別できる世界最古の絨毯……アルデビル絨毯
(右写真:アルデビル)
アゼルバイジャン・アルデビルという名前が織り込まれていることから、こう呼ばれています。サイズは縦が1,152cm、そして横が534cmとかなり大きなもの。さらに絨毯の表面には、ペルシアの詩人”ハーフィズ”の詩の一句とともに「この仕事は946年、カシャンのマクサドにより始められた」としるされてあることから年代が判明しました。イスラム暦で946年、つまり西暦1569年の作品。(イスラム暦は西暦622年よりはじまります)上質の毛と絹がふんだんに使われてあり、当時としてはかなりの高級品であったと想像できます。

かつて、アジアとヨーロッパを結ぶ東西文化交流の動脈として栄えたシルクロード。このうち、天山山脈の北麓から中央アジアの草原を貫きローマに至るステップ路は、およそ紀元前1千年頃に出現した遊牧騎馬民族によってひらかれたとされています。
水と食料を追って移動を繰り返す彼らにとって、絨毯は敷物としてはもちろん、寒さを防ぐ毛布や、鞍の被いとして欠かせない生活用品でした。草原と砂漠の暮らしから生まれたこの絨毯は、やがてシルクロードを通って伝播され、各地の風俗や文化と強く結びつき、西はトルコ、東は中国にまで至る広大なオリエントも絨毯ロードを形成することになるのです。
(左写真:メダリオン・カシャーン 木綿の地糸に羊毛のパイル 20世紀初頭)

オリエンタル絨毯が、今日のような高い芸術性を誇るようになったのは、西アジア全体がイスラム化しはじめた7世紀以降のことです。
イスラム世界では偶像崇拝が否定されていたため、絵画や彫刻の生産が立ち遅れていました。しかし、そのかわりに織物や陶器などといった工芸の分野が目覚ましい発展を遂げていったのです。そしてアラベスク文様として知られる装飾模様がこれらの工芸品を飾り、独特の工芸美術の世界を構築。宮廷の保護のもと、その生産は隆盛を極めました。
さらに絹製絨毯などの高級品は、富と権力の象徴として王侯貴族に重宝され、観賞用やコレクションはもちろん、各国への贈答用など幅広く用いられたとされています。
シルクロードの遊牧民の生活から生まれた手織絨毯は、このように絢爛たる魅力をイスラム世界で開花し、その拡大とともにヨーロッパやアジアの各地へ伝わっていったのです。
(右写真:パキスタンではターラムと呼ばれる織る順序を配した表を読み上げ、それにしたがって織られていきます。)

いまでこそ、敷物やインテリア装飾品として気軽に使われている絨毯ですが、日本人の日常の暮らしに定着したのは、住まいとライフスタイルの洋風化が進んだごく最近のこと。しかし、かなり古くから渡来していたであろうことは、数多くの文献から確認されています。
年代的に最も古いものは魏志倭人伝で、魏の明帝が朝貢の答礼として、邪馬台国の女王卑弥呼に対して絨毯と思われる敷物を贈ったことが、その中に記されています。
また、正倉院宝物として残されているフェルトのようなもの、これは中国唐期の工芸品であり遣唐使によって、日本にもたらされたといわれています。
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